【かわうそキャンプ】高井神島でおもうこと

 

こんにちは、ふじまきです。

前回のブログに引き続き、かわうそキャンプのことをご紹介させていただきます。

 

 

キャンプの舞台ととなる高井神島は、人口36人、高齢化率約80%の島です。

現在、子どもは一人もおらず、島の学校は休校中となっています。

高井神島には、お店が1軒もありません。私がいる弓削総合支所からは1日4便の船で約30分。

こうして数値を並べると、かなり”大変”なところに見えますね。

 

もちろん、厳しい現実はたくさんあります。

ご高齢の方ばかりの島ですから、草刈りや神社の整備など、手が回らなくなっていることがたくさんあります。

イノシシ被害も深刻です。(大きなタンカーも行き交うこの海を彼らは泳いでやって来ました。)

 

やっぱり”大変”なんじゃないかって?

そう、”大変”なこともあります。どうにかすべき(そしてできそうな)こともあります。

 

けれども、高井神には高井神の「暮らしの豊かさ」があります。

 

高井神の暮らしは、シンプルです。

お天道さまが登ったら起きて、沈んだら寝る。

野菜を作って、野菜の育ち具合を毎日チェックして楽しんで、大切に食べる。

誰かがたくさん魚をとったら、分け合う。漁から帰ったらビールを呑む。

浜辺て涼みながら、おしゃべりをする。釣りをして遊ぶ。昼には、韓国ドラマも見る。

 

 

人の暮らす場所は、昔から島の一画だけ。小さな集落で、みんな一緒に暮らしてきました。

昔は、山を拓いて畑もたくさんあったけれど、今はまた山に戻りました。

今、島の大部分は、植物たちと動物たちの暮らす場所です。

 

島を船でぐるーっと一周すると、人の住む場所がどれだけわずかがよく分かります。

そうして島を見ていると、「人の暮らしってこういうことだよな」となんて思ってくるのです。

 

普段、人や”テクノロジー”に囲まれて暮らしていると、「自然は克服できる」とか「”快適”に暮らすためにもっと電力が必要だ」なんて

勘違いするのですが、私たちが暮らしているスペースは、でっかい地球のごくごくわずかであって、

自然は克服できるものでもないし、自由に操れるものでもないのです。人間の存在の方が圧倒的にちっぽけです。

 

 

人口が減って、人が手を入れるスペースが少なくなったという「変化」は、ある人にとっては「さみしい」ことなのかもしれません。

それが悪いとか、いいとか、そういう話ではなくて、

そうして暮らしてきた高井神の歴史から、

そうして暮らしている、暮らしていく、高井神の今と未来から、教えてもらうことはたくさんあると思うなぁと、高井神に行く度に感じています。

 

そんなことを子どもたちが少しでも感じてくれたらいいなと思います。

 

さあ準備期間もあとわずか・・・がんばるぞーっ!

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