魚島 テンテコ踊り
8月15日、毎年この日に行われる、魚島伝統の「テンテコ踊り」の様子です。
この日は、帰省してきた家族も多く、たくさんの子供たちが準備していました。
白塗りのお化粧をしたり、ハッピを着たり。
テンテコ踊りは、篠塚伊賀守が現在の魚島に落ちのびてきたとき、
再起を期して行った調練の名残といわれています。
もともとは、踊りに参加するのは男の子だけだったそうですが、
人口の少なくなった現在では、女の子も武者姿で参加します。
テンテコ テンテコ テンテコヤー
コニャセー ソリャセー
のリズムに合わせ、東と西から二手に分かれて飛び跳ねながら練り歩きます。
現在は港の広場で行われていますが、かつては砂浜で行われていたそうです。
東と西、それぞれに木製の面をかぶった袴姿の二人がいて、一人は竹笹を束ねたもの、
ひとりは六尺棒を持って、それらを振り回して戦います。
両軍が交錯すると、今度は丘の方へ練り歩きます。
この練りが最高潮になった時、両軍の若者が取っ組み合いをはじめ、けが人がでた時代もあったとか。
現在は、とても穏やかに、小さい子供を先頭にした練り歩きです。
この日の魚島は、普段よりもたくさんの子供たちで賑わいました。
テンテコ踊りに使われたこの竹笹は、少しずつちぎって家に持ち帰り、
戸口の柱に差しておくと魔除けになるそうです。
島にたくさんの住人がいた頃は、奪い合いになりあっという間になくなってしまったそうです!
かつては男の子が踊り、女の子は浜でかまどを作ってご飯を炊き、振る舞う風習もあったそうです。
最近では行われていませんが、「テンテコ飯」と呼ばれていたとか。
無形文化財でもある「テンテコ踊り」
この伝統を絶やさないよう、来年以降も多くの子供たちが参加してくれると良いな、と思います。